本当に日本には死刑は必要なの?
死刑制度に関する政府の世論調査の問題点 法律新聞2044号
死刑制度に関する政府の世論調査の問題点
平成26年(2014年)5月23日 週刊法律新聞2044号
弁護士小川原優之
1 はじめに
死刑制度に関する政府の世論調査は,これまで1956年(昭和31年)から2009年(平成21年)までの間合計9回実施されていますが、1989年(平成元年)以降5年ごとに実施されていることから,今年2014年(平成26年)にも実施されることが正式に決定されています。
この世論調査の死刑制度に関する主質問は,1994年(平成6年)以降は,次のようになっています。
「問 死刑制度に関して,このような意見がありますが,あなたはどちらの意見に賛 成ですか。
答 どんな場合でも死刑は廃止すべきである
場合によっては死刑もやむを得ない
わからない・一概に言えない 」
そして、政府は、2009年(平成21年)の世論調査の結果が、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」5.7%、「場合によっては死刑もやむを得ない」85.6%であったことから、「国民の8割以上が死刑制度を支持している。」などと評価し,報道機関も,そのような政府の評価をそのまま報道するので,国民の間においても「我が国の国民の8割以上が死刑制度を支持している。」ということが客観的な事実であるかのように受け止められています。
しかし、日本弁護士連合会が、社会調査の専門家に従来の政府の世論調査について分析を依頼したところ、政府の世論調査には多くの問題点があることが明らかとなりました。そこで日弁連は、政府の世論調査の内容が国民の死刑制度に関する意識をより正確に把握できるものとなり,その回答結果がより客観的に評価されるよう,「死刑制度に関する政府の世論調査に対する意見書」(以下、日弁連意見書といいます)を2013年12月11日、公表しました。
以下、この日弁連意見書をふまえ、死刑制度に関する政府の世論調査の問題点について述べますが、意見にわたる部分は私見であることをお断りしておきます。
2 「死刑全面廃止論」について二者択一で問う選択肢は不適切
(1)前述したように死刑制度に関する主質問は,「死刑制度に関して,このような意見がありますが,あなたはどちらの意見に賛成ですか。」と問い、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」か、「場合によっては死刑もやむを得ない」(このほかに「わからない・一概に言えない」もありますが)を回答させるものです。しかし何故端的に、死刑制度の存廃について賛成か反対かを問わないのでしょうか。
谷垣法務大臣は、今年3月25日の衆議院法務委員会で、民主党田嶋要衆議院議員の質問に対し、このような選択肢を用いる理由について、次のように答えています。
「谷垣国務大臣
こういう質問の立て方、若干変化がなかったわけではありませんが、基本的にこういう質問の立て方をしてきておりますのは、要するに、この問題の論点と申しますか、死刑制度の存廃に関する我が国の議論が、結局のところ、あらゆる犯罪について死刑を廃止すべきかどうか、つまり全面的に廃止すべきであるかどうかというのが最大の論点であろうということを踏まえまして、このような「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」か、あるいはこれに対応する「場合によっては死刑もやむを得ない」という選択肢になっているわけで、こういう考えに基づいて繰り返し実施してきたということだと私は考えております。その上で、先ほど田嶋委員にも言っていただきましたが、定点観測といいますか、数字の推移を見ていくということとしているわけですね。」
この谷垣大臣の答弁内容を、更に詳しく説明した法務省刑事局付検事の文献があります。
まず、「死刑制度に関する世論調査について 平成6年度総理府世論調査から」(法務省刑事局付検事井上宏。判例タイムス864号・36頁以下)によれば、
「死刑全面廃止論の表現については、それが、どのように凶悪な犯罪を犯したものであっても死刑にすべきではないという意見であることを意識させる必要があること、『凶悪な犯罪』等の直接的な表現ではそのときどきの犯罪情勢に影響されやすく適当ではないこと、『どんな場合でも死刑を廃止しよう』という従来からの質問振りに準じることが調査の継続性を重視する観点からも適当であることなどを考慮し、『どんな場合でも死刑は廃止すべきである』が適当であると考えられた。他方、これに論理的に対立する意見については、『どんな場合でも死刑は存置すべきである』ではなくて『死刑を廃止すべきでない場合がある』であること、これを調査に親しむ程度の表現に柔らげること、刑罰、特に死刑はやむを得ないものであるという理解が一般的であると思われることなどを考慮し、『場合によっては死刑もやむを得ない』という表現が適当であると考えられたこと。この案について専門家から、国民の基本的な意識を素直に聞き出しやすい適切な表現であるとの評価を得た。」(40頁)
と述べられています。
また、「死刑に関する総理府の世論調査について」(法務省刑事局検事加藤俊治・判例タイムス1026号・26頁以下)には、
「死刑の存廃に関する質問は、昭和31年の初回調査以降、質問表現の変更はあったものの、『死刑の存廃について、全面的に死刑を廃止すべきであるか否かを二者択一式に問う』という点で一貫している。これは死刑制度の存廃に関する我が国の議論があらゆる犯罪について死刑を全面的に廃止すべきであるか否かというものであることを踏まえて、制度としての死刑を全面的に廃止すべきであるか否かという観点から質問が作成されていることによる」(27頁)
「死刑制度の存廃に関する我が国の議論があらゆる犯罪について死刑を全面的に廃止するべきであるか否かというものであることを踏まえると、選択肢の一方は、『どんな場合でも死刑を廃止すべきである』とすべきであり、これと対立するもう一方の選択肢は、『どんな場合でも死刑を存置すべきである』ではなく、『場合によっては死刑もやむを得ない』とすべきである」(同頁)
と述べられています。
(2)しかし、谷垣法務大臣の答弁や法務省検事局検事の説明にあるような、「死刑制度の存廃に関する我が国の議論が、結局のところ、あらゆる犯罪について死刑を廃止すべきかどうか、つまり全面的に廃止すべきであるかどうかというのが最大の論点」なのでしょうか。
そもそも何のために死刑制度に関する世論調査を行っているのか見直す必要があります。
情報公開法により平成21年度の世論調査について情報の公開を求めたところ、「平成21年度(第4回実施分(3件))世論調査の実施について」と題する資料(以下、開示資料といいます)が開示されました。
そこには、「調査の目的・必要性」として、「死刑制度の存廃については、国民世論に十分配慮しつつ、種々の観点から慎重に検討すべき課題であり、死刑制度に関する世論調査を継続的に実施し、国民世論の動向を把握することが必要である」ことと、また「凶悪重大犯罪が依然として後を絶たない状況にある一方で、超党派の国会議員で組織する『死刑廃止を推進する議員連盟』が、平成20年3月、死刑判決をするためには裁判官及び裁判員全員の一致によるものとすること等を内容とする法案の国会への提出を検討する動きを見せており、また、国際的にも、平成19年12月、国連総会において、死刑執行猶予決議が採択され、あるいは、平成20年10月、いわゆる人権B規約に基づいて設置された人権委員会において、我が国に対し、死刑廃止を前向きに考慮すべきである旨の勧告がなされるなど、我が国の内外において、死刑制度の存廃等についての論議が高まっているところ、これらに適切に対応するため」であるとされています。
そして、「調査事項」は、「1死刑の存廃に関する意見とその理由 2死刑の犯罪抑止力についての認識 3死刑の廃止時期に関する意見」とされています。
ここに記載された「調査の目的・必要性」にも、「調査事項」にも、「死刑全面廃止論」か否かを調査するためなどという言葉はどこにもありません。「我が国の内外に於いて、死刑制度の存廃等についての議論が高まっているところ、これらに適切に対応するため」の世論調査なのであれば、死刑制度に関する国民の基本的な意識をできるだけ客観的に把握するためのものであるべきであり、それをもって足りるのであって、余計な修飾語はいりません。
「全面的」か「部分的」かが論点なのであれば、「死刑全面廃止論」という表現にも意味があるのかもしれませんが、そもそも「死刑部分廃止論」などありません。死刑廃止論について「全面」か「部分」かという論点はなく、「全面」という修飾語は全く不要です。それどころか選択肢の表現にいたっては後述する通り不適切と言わざるを得ません。
(3)法務省刑事局付検事の説明によれば、「死刑全面廃止論の表現については、それが、どのように凶悪な犯罪を犯したものであっても死刑にすべきではないという意見であることを意識させる必要がある」のであり、「制度としての死刑を全面的に廃止すべきであるか否かという観点から質問が作成されている」のであって、「選択肢の一方は、『どんな場合でも死刑を廃止すべきである』とすべきであり、これと対立するもう一方の選択肢は、『どんな場合でも死刑を存置すべきである』ではなく、『場合によっては死刑もやむを得ない』とすべきである」と述べられています。
しかし、この「表現」は、不適切と言わざるを得ません。
日弁連意見書は、この点について、次のように述べています。
「死刑制度廃止の賛否を問う主質問の選択肢は,①どんな場合でも死刑は廃止すべきである,②場合によっては死刑もやむを得ない,③わからない・一概にいえない,である。
この質問の趣旨は,死刑制度に関する国民の基本的な意識をできるだけ客観的に把握することにあるはずである。①が死刑廃止に賛成する者が回答することを想定する選択肢,②が死刑廃止に反対する者が回答することを想定する選択肢であろう。
しかし,①については,「死刑は廃止すべきである」という結論に『どんな場合でも』という強い表現の条件が付されているため,死刑廃止に対し明確な意思を持っている者でない限り,選びにくい選択肢である。逆に,②については,『場合によっては』,『やむを得ない』という,結論に幅を持たせるあいまいな表現があるため,死刑制度に関し明確な意思を持っていない者にとって,選びやすい選択肢となっている。このような選択肢の表現方法自体が,①の回答者の割合を低くし,②の回答者の割合を高くする危険性を内在していると言わなければならない。」
(4)この「危険性」は,現在の質問形式に変わった1994年(平成6年)と、それ以前の質問形式であった1989年(平成元年)の各調査結果を比較することによって,客観的にも裏付けられています。
ア 死刑制度に関する主質問は,1989年(平成元年)は,
「問 今の日本で、どんな場合でも死刑を廃止しようという意見にあなたは賛成です か,反対ですか。
答 賛成 (15.7%)
反対 (66.5%)
わからない(17.8%) 」
でした。()内は調査結果の数字です。
そしてサブクエスチョンとして、将来の死刑廃止について、
「問 将来も死刑を廃止しない方がよいと思いますか。それともだんだん死刑を少な くしていって、いずれは廃止してもよいと思いますか。
答 将来も存続(76.8%)
漸次廃止(15,6%)
わからない(7.6%)
と質問していました。
イ 他方、現在の質問形式に変わった1994年(平成6年)には、
「問 死刑制度に関して,このような意見がありますが,あなたはどちらの意見に賛 成ですか。
答 どんな場合でも死刑は廃止すべきである(13.6%)
場合によっては死刑もやむを得ない (73.8%)
わからない・一概に言えない (12.6%)」
サブクエスチョンとして、将来の死刑廃止については、
「問 将来も死刑を廃止しない方がよいと思いますか。それとも、状況が変われば、 将来的には、死刑を廃止してもよいと思いますか。
答 将来も死刑を廃止しない(53.2%)
状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい(39.6%)
わからない(7.2%)」
と質問しています。
ウ このように、死刑廃止反対者の割合が,66.5%(1989年)から73.8%(1994年)に大きく上昇していることが分かります(それまでは、死刑廃止反対論者の割合は、1975年56.9%、1980年62.3%、1989年66.5%でした)。
しかし、更に注目すべきなのが,死刑廃止反対者について,将来も存続に賛成する者の割合が76.8%(1989年)から53.2%(1994年)に顕著に減少していること,一方で,漸次廃止(将来的には死刑を廃止してもよい)に賛成する者の割合が15.6%(1989年)から39.6%(1994年)へと顕著に増加しています。
「これは,死刑廃止に比較的近い意見を持ちながら,上記①の選択肢がその語感から選びにくいため,②のあいまいな解釈を許す表現の選択肢を選んだ者が多数存在することを裏付けるものである。以上の事情を総合すると,現在の主質問の形式・表現では,死刑制度に関する国民の基本的な意識を客観的に把握することは困難であると言わざるを得ない。」(日弁連意見書)のです。
このように「死刑の存廃について、全面的に死刑を廃止すべきであるか否かを二者択一式に問う」現在の選択肢は、「選択肢の表現方法自体が,①の回答者の割合を低くし,②の回答者の割合を高くする危険性を内在していると言わなければならない。」(同)のです。
(5)それではどのような質問事項が良いのでしょうか。
日弁連意見書は、「死刑制度に関する国民の基本的な意識を把握するための主質問はどのようなものであるべきか」について、「結局のところ,次のとおり,端的に死刑廃止・存続についての賛否を問うのが最も中立的であり,国民の基本的な意識を知る手掛かりになるものと思われる。2014年(平成26年)以降,世論調査を実施する場合には,以下のような質問形式・内容に改めるべきである。
問 死刑制度に関して,このような意見がありますが,あなたはどちらの意見に賛成 ですか。
答① 死刑は廃止すべきである
②どちらかと言えば,死刑は廃止すべきである
③わからない・一概に言えない
④どちらかと言えば,死刑は残すべきである
⑤死刑は残すべきである 」
と述べています。
3 専門家の氏名や研究業績を公表しない不透明性
現在の世論調査の質問形式・項目について、法務省刑事局付検事は、前述したように「この案について専門家から、国民の基本的な意識を素直に聞き出しやすい適切な表現であるとの評価を得た。」と述べています。
しかし、日弁連が、社会調査のデータ解析の専門家である静岡大学情報学部の山田文康教授に,死刑制度に関する政府の世論調査の問題点等の分析を依頼し(2012年(平成24年)11月27日,同教授による講演「標本調査とそれに基づく主張-内閣府「死刑制度世論調査」を巡って-」)、更に,日本国民の死刑に対する態度についての研究結果を発表している,オックスフォード大学犯罪学研究所研究員・ロンドン大学バークベック校犯罪政策研究所主任研究員の佐藤舞博士からも政府の世論調査の問題点等について意見を聴取した(2013年(平成25年)8月19日,同博士による講演「日本国民の死刑に対する態度~内閣府世論調査と三つの独自調査の結果について」)ところ、政府の行っている世論調査には多くの問題点が指摘されました。
日弁連意見書は、このような専門家の分析結果を踏まえ,政府の世論調査の内容が国民の死刑制度に関する意識をより正確に把握できるものとなり,その回答結果がより客観的に評価されるよう,取りまとめたものです。
ところが、政府の側は、相談し意見を求めたという「専門家」の氏名や研究業績を一切公表しません。
政府の側も、「専門家」の氏名を公表し、専門家相互による建設的な議論を行うべきです。
4 将来の死刑廃止について、死刑か仮釈放のない終身刑かを問うべき
前述した開示資料によれば、「調査事項」には「死刑の廃止時期に関する意見」が含まれており、将来の死刑廃止について、政府の世論調査の質問項目には、「場合によっては死刑もやむを得ない」と回答した死刑廃止反対論者に対し、サブクエスチョンとして、「将来も死刑を廃止しない方がよいと思いますか。それとも、状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよいと思いますか。」と質問しています。
この「状況が変われば」とはどのような意味なのでしょうか。あまりにも漠然とした質問です。
私は、将来の死刑廃止について、死刑か仮釈放のない終身刑かを問うべきであると思います。
アメリカは死刑存置国であるとされていますが、50州のうち18州が死刑を廃止しており、存置している州のうちでも実際に執行したのは9州だけです(2013年)。日弁連は、死刑を存置しているテキサス州(2013年調査)とカリフォルニア州(2014年調査)に調査団を派遣し、私も参加したのですが、いずれの州でも仮釈放のない終身刑が導入されていました。
とくにカリフォルニア州では、2012年に「死刑か、仮釈放のない終身刑+終身刑受刑者から被害者への賠償付き」どちらがよいか問うたところ、死刑存置53%、終身刑47%と拮抗した結果となっていました。
死刑か仮釈放のない終身刑かは、現実的な選択肢なのです。
日弁連意見書は、この点について、「死刑制度に関する主質問の各回答のサブクエスチョンに,死刑の代替刑として終身刑(仮釈放のない無期懲役刑)を導入することが,死刑存廃の意見に影響を与えるかどうかを把握するための質問を加えるべきである。具体的には,死刑廃止反対者に対して,『死刑の代替刑として終身刑を導入すれば,死刑を廃止してもよいと思いますか。』という趣旨の質問を加えることなどが考えられる。」と述べています。
また最近の朝日新聞の社説(2014年5月6日付)は、「超党派の国会議員でつくる死刑廃止議連は、仮釈放のない無期刑(重無期刑)の新設を検討していた。いずれ社会に戻れるかもしれない無期刑と死刑の落差はかねて指摘されてきた。死刑の代替刑として、重無期刑をどのように考えるか。政府は市民に意見を問うことを避けてきたが、正面から向き合うべき問題ではないか。」と述べています。
私も、全く同意見です。
5 国民の8割以上が死刑制度を支持しているという評価の誤り
この「8割以上」という数字は,2009年(平成21年)の世論調査の死刑制度に関する主質問に対し,「場合によっては死刑もやむを得ない」と回答した者の割合85.6%に基づくものです。
しかし「『場合によっては』,『やむを得ない』というあいまいな表現が含まれているため,回答者がこの選択肢を選びやすくなっている。この回答者の中には,単純に『死刑制度を支持』又は『死刑廃止に反対』と言い切れない者が含まれている。特に,この回答者のうち,『状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい』と考えている者(2009年(平成21年):34.2%)については,死刑廃止を肯定しているのであるから,死刑廃止に賛成か反対かという基準に当てはめると,むしろ廃止賛成に近い方に位置付けられるのであり,単純に死刑制度を支持している者と評価することはできない。この回答者群を上記85.6%から除外すると,約56%(0.856×(1-0.342))となる。したがって,この世論調査の結果から言えるのは,回答者のうち死刑廃止に反対する者又は死刑制度を支持している者の割合は約56%であるということになる。」(日弁連意見書)のです。
このように死刑制度に関する政府の世論調査のこれまでの政府評価は,死刑支持者の割
合を過大に表示しており,死刑制度に関する国民意識について誤解を与えるものです。
6 これまでのデータは業者によって全て廃棄されており国民が活用できない
開示資料には「世論調査仕様書」が含まれており、これによれば、政府から世論調査を受託した業者は「資料を処分」しなければならないことになっています。
具体的には、受託した業者は、「個別調査票のデータを電算機処理する場合に、調査対象者の個人名を使用してはならない。識別するために必要な場合は、IDを使用する。(電算機処理するために入力したデータは、以下、『マスター・テープ』という。)」、そして「マスター・テープを使って、集計結果を出力したあとは、マスター・テープの内容(以下、『個別データ』という。)を、表計算ソフトExcelに変換し、フロッピー・ディスクで、担当部局に提出する。」、「担当部局は、速やかに個別データを調べ、マスター・テープの内容と判断したときは、受託者に、調査対象者一覧、個別調査票及びマスター・テープの内容の廃棄を指示する。なお、担当部局から廃棄の指示が無い場合は、契約期間終了をもって廃棄指示に代える。」、「受託者は、廃棄の指示を受けたときは、速やかに調査対象者一覧、個別調査票及びマスター・テープの内容の廃棄し、その処理結果を、書面により担当部局に報告する。」こととなっています。
従って、これまでの世論調査の「調査対象者一覧、個別調査票及びマスター・テープの内容」は全て受託した業者によって廃棄されており、内容の正確性は、政府の「担当部局」が「個別データを調べ、マスター・テープの内容と判断」しているだけです。
この世論調査には多額の国費が投じられています。開示資料によれば、平成21年度の死刑制度に関する世論調査を含め3件分の「所要経費(概算)」は3871万4000円であり、単純に1件当たりの平均をとれば、1件当たり約1290万円の国費を投じていることになります。
「公費を投じてなされた世論調査の結果及びデータは専門家をはじめとして,国民が広く共有し,容易に活用できるようにすべきである。プライバシーには配慮しつつ,情報公開法による公開という手法を待つまでもなく,個々の回答票等,分析・検証に利用可能なデータを積極的に公開していくべきである。」(日弁連意見書)と考えます。
7 最後に
前述した谷垣法務大臣の答弁を見る限り、政府は、これまでと同様の死刑制度に関する世論調査を今年行う模様です。
しかしこのような世論調査に多額の国費を使うべきではありません。多くの国会議員、マスコミ、市民、研究者がこの世論調査の問題点を指摘し、政府に対し改善を求めるべきです。
「確かに世論調査は,国民の意識を推知する手段であり,その回答結果の推移を見るために継続して実施することに意味がないと言うつもりはない。しかし,政府においては,回答結果の一般化は実態を正確に反映したものではなく,誤解を生じさせかねないことを十分に認識すべきである。少なくとも,昨今の死刑制度に関する政府の世論調査の結果を,死刑廃止や死刑執行停止の検討をしない根拠として利用することは許されない。」(日弁連意見書)のです。
以上