本当に日本には死刑は必要なの?
裁判員裁判での二度目の死刑求刑に対する声明 死刑廃止フォーラム
本日11月10日、男性2人を殺害したなどとして強盗殺人など9つの罪に問われている横浜地方裁判所の裁判員裁判において、横浜地方検察庁は被告人に死刑を求刑しました。先日、死刑求刑がなされた東京地裁のいわゆる「耳かき店員等殺人事件」の判決は無期懲役であったものの、この事件の裁判では、裁判員制度下で初めて死刑が宣告される可能性があります。
そこで、私たちはいかなる死刑判決、死刑執行をも認められないという立場から、二度目の死刑求刑に対し強い懸念を表明します。
そこで、私たちはいかなる死刑判決、死刑執行をも認められないという立場から、二度目の死刑求刑に対し強い懸念を表明します。
まず、何度でも強調されるべきは、裁判員に死刑の判断を求めることは、耐え難い「苦役」であり、不当なものであるということです。死刑言渡しは、職業裁判官にとってすら心理的な重圧が大きいものです。一般市民である裁判員が、人間の生命を奪う死刑という刑罰の判断を行うというのは、その任務を超えているといわざるをえません。
また、たとえ裁判員一個人が死刑の選択に反対であったとしても、それが少数意見であれば、多数意見に従わざるをえないという、裁判員裁判における多数決制の問題もあります。自らの意思に反して他人に死を強制する命令に参加させられること自体、憲法18条が禁止する「苦役」に該当すると考えられます。
次に、死刑に関する情報公開の不十分さの問題があります。死刑に関する情報が十分に公開されていないことから、裁判員は死刑の是非を判断する前提を欠いているといわざるをえません。検察官や職業裁判官が「この事件は死刑だ」と主張した場合、裁判員たちはどのような根拠をもって死刑の是非を吟味すればいいのでしょうか。
加えて、本件は被告人の「自首」の是非が争われている事件です。検察官は「反省して自首したとはいえない」と主張しているようですが、そもそも刑法42条1項にいう「自首」とは、犯罪が発覚する前に捜査機関に自らその犯罪事実を告げることで成立するものであり、反省の有無は法律上も判例上も無関係です。法律上の刑の軽減の問題を被告人の反省の有無など情状の問題にすり替えたり、いたずらに被告人の「残虐性」を強調するなど、情緒で裁判員を死刑判決に誘導しようとする検察官の姿勢は厳しく批判されるべきです。
加えて、本件は被告人の「自首」の是非が争われている事件です。検察官は「反省して自首したとはいえない」と主張しているようですが、そもそも刑法42条1項にいう「自首」とは、犯罪が発覚する前に捜査機関に自らその犯罪事実を告げることで成立するものであり、反省の有無は法律上も判例上も無関係です。法律上の刑の軽減の問題を被告人の反省の有無など情状の問題にすり替えたり、いたずらに被告人の「残虐性」を強調するなど、情緒で裁判員を死刑判決に誘導しようとする検察官の姿勢は厳しく批判されるべきです。
さらに、殺害を依頼したとされる共犯者はなお逃亡中であり、実質6日程度の審理で犯行の全容が明らかになったかはなお疑問であるといえます。
以上のことから、私たちは、この横浜地裁での死刑求刑事件において、裁判員が死刑の選択を行うことには重大な問題と疑念があると考えます。
以上のことから、私たちは、この横浜地裁での死刑求刑事件において、裁判員が死刑の選択を行うことには重大な問題と疑念があると考えます。
死刑制度については、内閣府の世論調査では約85%が「容認」とのことですが、法務省は死刑制度の存続の主な理由にこの世論の支持を挙げています。しかし、国連の人権理事会も勧告しているように、人権政策を世論調査の動向で判断してはなりません。私たちは、死刑制度の存廃について市民的な広範な議論を行うとともに、死刑のない社会の実現を目指していきたいと考えます。
2010年11月10日
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム’90
東京都港区赤坂2-14-13
港合同法律事務所 気付
TEL 03-3585-2331
FAX 03-3585-2330
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