本当に日本には死刑は必要なの?
鳩山元法務大臣の談話批判
鳩山邦夫元法務大臣は2010/01/02 週刊ダイヤモンドで、死刑について次のように述べています。「死刑存置国に対して死刑の執行停止を求める国連の決議がありますが、それは内政干渉あって、いっさい気にする必要はない。縄文時代からの歴史の結果として今の日本がある。その歴史の上に成り立っている国民性は、諸外国とは関係ないんです。和魂洋才ですよ。ヨーロッパのほうのよい技術なんかは受け入れればいいと思うが、和魂を失ったときこの国は滅びる。死刑制度や死刑を執行すべきかどうかは、まさに和魂の問題です。要は、日本のやり方を貫けばいい。」
しかし私には、全く納得できません。個人としての私の思想信条や哲学宗教に反するといった意味からではなく、日本は国際連合に加盟し、人権条約を批准し、国連の人権理事会の理事国にもなっているのであって、国際人権法を守るべき立場にある日本の法務大臣がこのような発言をすること自体、納得ができないという意味です。
そんなことを思っていたら、フランス外相ベルナール・クシュネル氏の発言(ニューズウィーク日本版2009・12・30/2010・1・6)59頁が目に付きました。
人権は外交政策の基本原理だベルナール・クシュネル フランス外相、「国境なき医師団」共同創設者
「政治と政策決定は常に、矛盾する要求を調和させるための努力を伴う。外交政策も例外ではなく、外交は相反する利益を考慮しなければならない。人権については特にそうだ。なぜなら、人権は完全に国際法の一部となっているからだ。他の国々や自国民に対し、そして国連の枠組みにおいても、人権は法的に拘束力のある約束である。外交上の幅広い要求に比べれば、人権の拘束力などなきに等しいと冷笑する人もいるかもしれない。しかし国はその拘束力に従う義務があり、拘束力があるからこそ市民社会は権利を主張し、政治の恣意的な権力行使に抵抗できる。」
「私は現場を知る活動家として、人権擁護においてNGOが決定的な役割を果たしていると考えてきた。今は大臣として、そのことを一層強く確信している。NGOと政府の協力が不可欠であることも確信している。そこで、すべての在外フランス大使館を『人権の拠点』にすることを提言した。大使館を、特に人権擁護に取り組むNGOに開放したい。」
「人権は、1948年の世界人権宣言が基になった国際規約で各国が誓った法的に拘束力のある約束であり、ほかにも多くの条約で具体化されている。」「文化の多様性を基準の一つとして高く掲げ、それより下位のものとして、人権の普遍性に疑問を投げ掛ける人もいる。そんな時代に、人権をどこまで認めるかについて細かくこだわったり、伝統的とされる価値を比較していがしろにしたりしてはならない。」
「人権がほかの重要な事柄と並んで存在意義を持つような外交政策に、自分が息吹を吹き込んでいることを誇りに思う。そう思う理由は、決して諦めずに生きてきたという経験から生まれた理想主義であり、一方で実用主義でもある。政治紛争を平和的に解決する国は、隣人との違いを暴力で解決しないだろうから。」
私は、昨年、日弁連の死刑執行停止実現委員会の事務局長として、スペイン大使館などの方とお話しし、EUのシンポジウムにも参加して、、「死刑廃止・執行停止がEUの外交政策だ」と何度もお聞きしてきたのですが、この文章を読んで、まさに「人権が外交政策の基本原理」となっていることを再認識できました。
日本国内の状況だけを見ていると(鳩山元法務大臣の談話とか)、日本は世界で最後まで死刑を存置するのではないかと不安になってしまうのですが、日本も国連の加盟国として国際人権法の枠組みの中にあり、孤立することなくネットワークをひろげて、死刑執行停止に向けNGOとしての日弁連の努力を「決して諦めずに」継続するべきなんだと痛感させられました。