本当に日本には死刑は必要なの?
中国において、邦人に対して死刑が確定したことについて(レジュメ) 中村治郎弁護士
中国において邦人に対して死刑が確定したことについて、昨年、中村治郎弁護士が検討した結果をまとめた(レジュメ)を作成していますので、今後の議論の参考になればと思い、掲載します。
中国において、邦人に対して死刑が確定したことについて(レジュメ)
10/3/30副委員長 中村治郎
1 事実
中国遼寧省の高級人民法院(日本では高等裁判所に当たる。)は,2009年4月2日までに,2006年9月に,同省の大連空港から日本へ覚せい剤約2・5キロを密輸しようとしたとして麻薬密輸罪に問われ,昨年6月に1審で死刑判決を受けた日本人男性の控訴を棄却した。 関係者によると,その男性は2006年4月に大阪から中国に入国した60代の赤野光信被告であり,中国は2審制を採用しているため,これにより死刑が確定する。ただし,最近中国では,死刑の執行を慎重にするため,死刑が確定した後,最高人民法院で執行の可否について審査をする制度を導入しているので,現在,その審査を受けている。 なお,中国で執行猶予の付かない死刑判決が確定した日本人は4人目である。 また,執行の方法については,銃殺のほか,河南省では本年2月18日に,今年から執行方法を薬物注射に切り替え,原則として銃殺は行わない旨の通知がなされている。
2 意見
日本国は,日本国民の生命権を護るために最大限の努力をしなければならない。そうだとすれば,中国において,日本人が麻薬密輸罪で執行猶予の付かない死刑が確定した場合,日本国政府は,中国政府に対して抗議しなければならないと考える。なぜなら,明らかに,罪刑の均衡を害していて不正義と言わざるを得ないからである。マスコミもただ記事にするだけで,抗議の 意見を載せていない。人権擁護団体である日弁連としては,こういう議論を巻き起こすばかりか,抗議声明を出すことも考えるべきである。
3 問題点
(1)日本は,自国に死刑制度があるので,それ自体抗議できる「資格」はないのではないか。 この点について,刑罰の本質は,応報か教育か争いがありますが,仮に,応報主義を取ろうとも,同害報復ないし罪刑の均衡は,近代刑法の罪刑法定主義ないし法の適正手続きの基本である(末尾注1参照)。したがって,仮に,日本国が死刑を廃止していなくとも,自国民に罪刑の均衡を失した刑罰を科した国に対して,抗議することは問題ない。 因みに,死刑を存置している米国が,以前,自国民に対して鞭打ちの刑という身体刑を科したシンガポールに対して,抗議をした例がある。
(2)罪刑の均衡という点について,それぞれの主権国家にそれぞれの価値観があり,国際的に許容されないようなものがあるのかどうか。また,外国から自国に入ってきてその秩序をみだしたという点,中国人民の健康等を大きく損なう重大な犯罪である(アヘン戦争を想起)という点で,死刑も合理性があるということはできないか。 この点については,今や世界の3分の2を超える国が法律上または事実上死刑を廃止しており,毎年死刑廃止国が増えているなど,死刑廃止が世界の潮流となっていること,その上,国際人権機関が死刑の適用が可能な犯罪の削減を求めていることを考慮すべきである。罪刑の均衡の観点か ら日本国では営利目的があったとしても無期または3年以上の懲役にしか処せられない罪(覚醒剤取締法41条2項参照)に他国で死刑を科すことは人道上許されない。現代は,麻薬等を国際的に撲滅しようとしている時代であり,アヘン戦争の時代と異なるのであるから,中国だけが著しく重い刑罰を科すのはおかしい。また,今回は,中国から日本に覚醒剤を密輸しようとした事案であって,中国において覚醒剤を蔓延させるような事例とは異なる。
(4)日本の弁護士会と中国の弁護士会とで友好的な関係もあると思うので、それに対する影響はどう考えればよいか。 この点について,日中法律家交流協会の事業を日弁連は引き継ぎ,日弁連は,現在,中国全国律師協会と協力関係を築いているが,お互いの誤りを正すために言うべきことを言い合うことがかえって将来的に両国弁護士会の絆を深めることになる。特に,一衣帯水の国である中国とは,今後 もそのような関係を維持すべきである。
(5)そもそも中国の法律家、弁護士会はどう考えているか。 この点について、中国各地で中国の弁護士と死刑の制限ないし死刑廃止に関する議論をした資料によると(添付の中国死刑事情見聞記参照),司法部の役人は,この国は日本(当時,人口約1億2000万人)と違って約12億の民を抱えており,犯罪抑止のために何千人かの死刑執行があったとしても微々たるものであると述べていた。しかし,地方の弁護士は,自分が弁護する被告人が死刑になることに相当悩んでおり,私にどうにかならないかと訴えている(更なる調査が必要である)。人権擁護を訴える私たち弁護士は他国の誤りを正すことに躊躇してはならない。
(6)外国の事象に対して抗議をするには,日本政府の立場もある程度は検討する必要がある。そこまで重大な影響があるのかどうかわからないが,中国政府から,変な口実にされて攻撃されて無用な政治的混乱につながらないか。 この点については,国際関係は,色々問題もありますが,対等な関係でなければならない。「ノーと言えない日本」と言う立場は,両国にとって,害になることはあっても,益になることはない。したがって,両国にとっ ては,合理的な主張である限り,強く主張すべきである。
(7)日本における死刑の問題について、そのような抗議をすることがどう作用するか。 この点については,むしろ日本国がとやかく言うことで,自国の襟を正さなければならなくなる。例えば,UPR審査=国連人権理事会による普遍的定期的審査=には,まさにそのような効果が期待できる。 他国の人権状況が悪いと批判するからには,自国の足元を見直さざるを得なくなる。この点,日本はUPRでも「おたくの制度は素晴らしい」というばかりで顰蹙を買っていた。拉致問題以外は国際的に「人権」を語らない日本国に,本件のような問題についても言わせるべきである(末尾注2参照)。
なお,タイ国における邦人に対する死刑判決は,殺人に対する死刑判決という点でもっと難しい問題がある。 また,オウム事件の弁護団や光市事件の弁護団のように日弁連がおかしな主張をしていると非難されるかも知れない。しかし,そのような非難は少数者の人権を護る弁護士ないし弁護士会の宿命である。我が国では死刑廃止は,今は,世論の5.7%の支持しか得られていないが,この先ヨーロッパのように,死刑廃止が当然であり,被害者も無期あるいは終身刑で満足する時代が必ず訪れるはずだ。
4 対策
(1)抗議の会長声明を発表するとともに,日本国政府が中国政府に抗議するようにすべきである。
(2)マスコミ及びインターネットを通じて,民主主義国家においては、死刑は正義ではないとのキャンペーンを徹底すべきである。
(3)東アジア地域(日本・中国・韓国・台湾・北朝鮮)を死刑廃止地域にするするべきである(EUのように!)。
(4)今回の4人の死刑囚及びそれに続く人たちのために当委員会を母胎として,救援弁護団を組織すべきである(嘗て、南アフリカ共和国において死刑違憲判決を勝ち取ったアメリカの弁護士のように!)。張凌氏(早稲田大学)や王雲海教授(一橋大学法学部)さらには、スチィーヴン・チャネンソン教授(ヴィラヴァ・ロースクール・ペンシルバニア州・現在フルブライト客員教授として中国に滞在中)のご協力を仰いでプロジェクトチームを立ち上げるべきである。 以上ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(注1)1 憲法論
憲法前文、11条(基本的人権の享有と本質)、13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の)、31条(法定手続きの保障)、36条(拷問及び残虐な刑罰の禁止)、97条(基本的人権の本質)、98条(憲法の最高法規性、条約・国際法規の遵守)、99条(憲法尊重擁護義務)
2 刑罰論
罪刑法定主義、刑罰法規の適正-罪刑の均衡(憲法31条)(憲法31条はアメリカの適正手続条項に由来するものである。したがって、「適正な」という表現はないが、当然に、罪刑の法定が適正であることを要求するものといわなければならない。そのことから、第1に、刑罰法規を設けるにあたっては、実質的な処罰の必要と根拠が充分に明白に認められることが必要である。何が保護法益であるかを充分に見定め、これを刑罰法規をもって保護する必要があることが明確にいえる場合に、はじめて、許されるものと言わなければならない。ことに、刑罰法規を設けることが基本的人権を制限する 結果になるような場合には、このことはとくに注意されなければならない。第2に、罪刑の法定が適正であるためには、罪刑の均衡が要請される。残虐 な刑がどのような場合にも絶対に許されないのはもちろんであるが(憲法36条)、残虐でない刑であっても、犯罪に不相当な刑を規定することは、やはり適正手続き条項に反するものというべきである。ーーー罪刑法定主義の要請する罪刑の均衡は、全体との関係に着眼し、犯罪に対する社会倫理的評価をもとにするものでなければならないのである(団藤重光・刑法綱要38頁参照)。このように考えると、犯罪を抑止する効果があるからといって、罪刑の均衡を逸した刑罰を科することは許されないのである。我が国でも封建時代において、死刑は多用されていたが、明治時代の文明開化を経てそれが制限され、第二次世界大戦後の民主主義社会のもとでは、さらに死刑を規定する犯罪は制限されるようになった。そして、最近では、国際機関から死刑適用犯罪を削減することを要請されている。
(注2)
死刑廃止・死刑執行停止を求める国際人権機関の決議ないし勧告 アムネスティ・インターナショナルの調べによると,1990年(平成2年)当時,死刑存置国が96ヵ国に対し,廃止国は80ヵ国であったが,2008年(平成20年)年12月4日現在,死刑存置国が59ヵ国に対し,廃止国はヨーロッパを中心に138ヵ国(法律であらゆる犯罪〔通常及び戦時〕について・93ヵ国,法律で通常の犯罪について・9ヵ国,過去10年以上執行していない事実上の廃止・36ヵ国)と,いまや世界の3分の2を超える国が,法律上または事実上死刑を廃止していて,毎年死刑廃止国が増えている状況のもとで,死刑廃止が,世界の潮流となっている。 2007年(平成19年)12月,国連総会は,すべての死刑存置国に対して死刑執行の停止を求める決議案を賛成多数で初めて採択した。この決議について,国連加盟国192カ国のうち,欧州連合(EU)諸国のほか,南米,アフリカ,アジア各地域の計87カ国が共同提案国になって,賛成104,反対54,棄権29で採択された。死刑制度を続けている日本,米国,中国などは反対したが,この決議の内容は,死刑存置国に対し,即時の死刑廃止を求めるのではなく,(1)死刑に直面する者に対する権利保障を規定した国際基準を尊重すること,(2)死刑の適用,及び,上記国際基準の遵守に関する情報を国連事務総長に提供すること,(3)死刑の使用を徐々に制限し,死刑の適用が可能な犯罪の数を削減すること,(4)死刑廃止を視野に入れ,死刑執行に関するモラトリアムを確立することなど,現実的な改善を求めている。 前年に引き続き,2008年(平成20年)年11月モラトリアム等を求める国連総会決議が,賛成105,反対48,棄権31で採択された。 1997年(平成9年)年以降毎年,国連人権委員会(2006年(平成18年)に国連人権理事会に改組)は,死刑存置国に対し,死刑適用の制限,死刑に直面する者に対する権利保障の遵守,死刑を完全に廃止する見通しのもとでの死刑の執行の一時停止などを呼び掛ける決議を可決している。また,2008年(平成20年)5月の国連人権理事会の第2回普遍的定期的審査においても、わが国における死刑執行の継続に対する懸念が多数の国から表明され、政府に対し死刑執行の停止が勧告された。 1993年(平成5年)及び1998年(平成10年)に,国際人権(自由権)規約委員会は,日本政府に対して,「死刑を法定刑とする犯罪を減少させるなど死刑廃止に向けた措置を講ずること」を勧告し,それから10年後の2008年(平成20年)に,同委員会は,市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「規約」という。)の実施状況に関する第5回日本政府報告書審査の結果である総括所見を発表し,その中で,日本政府に対して,「政府は世論に拘わらず死刑廃止を前向きに検討し,必要に応じて国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである」と勧告している。
参照:2009年12月29日(現地時間)中国に麻薬を密輸したとしてイギリス人のアクマル・シャイク(53)が死刑の執行を受けた。この報道を受け取ったイギリスのブラウン首相は声明を出し、「最も強い言葉で処刑を非難する。そして、非常に愕然としている。温情ある対応を望むという、我々の持続的な要請が聞き入れられなかったことに失望した」と強い抗議と共に、激しい落胆を表した。
シャイクは07年、新疆ウイグル自治区ウルムチで、4kgのヘロインを所持しており逮捕された。タジキスタン発の飛行機で中国にヘロインを密輸したとして、死刑判決が言い渡されていた。中国では麻薬に関する処罰は非常に厳しく、日本人も麻薬密輸罪で4人の死刑判決が確定しているが、まだ執行に至っていない。
シャイクは精神疾患があり、麻薬密売組織に騙されてヘロインを持ち込んだとイギリス側は主張し、再三にわたって刑の軽減を求めて来た。この半年だけで10回以上も高位当局者に接触し、温情的な措置を訴えた。しかし、刑は執行されてしまった。ロンドンの中国大使館は「刑の執行までの間に、シャイク氏の権利と利益は最大限に尊重されてきました。イギリス側の主張も中国裁判当局の考慮には入れられています」と刑の執行を弁護。イギリス外務省ディビッド・ミリバンド氏は「これは、我々がどれだけ麻薬の密輸を憎むかという問題ではない。我々も中国同様に、麻薬の問題に真剣に取り組むことを約束する。問題はシャイク氏が麻薬の被害者であったかどうかだ」と中国側の判断を批判している。
中国では、一応に刑の執行への同情は少ない。むしろ『介在』や『管轄権侵害』とイギリスの姿勢に反発が強まっている。北京対国際関係研究所副所長によると、「イギリスは、私達の国民が逮捕された時の身柄引き渡し要求を無視しながら、自国民の時には、ひざを乗り入れて来る。この考え方は矛盾している」と指摘した。
中国の死刑執行については、世界的にも非難が相次いでいる。昨年は1718人の死刑が執行されたと言われている。死刑の執行に関しては、麻薬取引に限らず、直接命に関わりのない賄賂・性犯罪・株式操作などにも死刑が適用されるケースがある。犯罪撲滅には、死刑がもっとも効果があると考えているようだが、死刑を行う社会は殺人を容認しているとも考えられる。今回の刑の執行は、イギリスと中国にとって深い遺恨を残しそうだ。(情報提供:ロケットニュース24)