Q&A

日本では「ひどいことをしたら死刑」って決まっていたの?

ウーン・・ところがそうじゃないんだよ。

あまり知られていないけれど、日本では平安時代に300年間も死刑の執行をやめていて、 これはおそらく世界で最も早く死刑を廃止していた国だったんだよ。

「罪をにくんで人をにくまず」という言葉があるように、日本ではひどいことをしたら必ずその人を死刑にしなければいけないという決まりはなかったんだ。
その言葉聞いたことあります!
日本が昔死刑を廃止していたなんてボクはじめて知りました。

おひさま弁護士のよくわかる解説

 平安時代に、嵯峨天皇が弘仁9年(818年)に死刑を停止する宣旨(弘仁格)を公布して死刑執行が停止され、 保元の乱の起こった保元元年(1156年)まで、日本では347年の間、死刑執行は停止されていたと言われています。

 これは、不殺生を説く仏教の影響や、穢れ(けがれ)思想、怨霊信仰によるものと言われていますが、いずれにしても日本には死刑や流血を避ける文化があったようです。

 ただ最近の古代史研究によれば、平安時代を通して、日本全国で死刑という法制度が廃止されたわけではなく、京都の一部で、死刑の執行が停止されていたようです。これは、「人を殺さず生命を保障する」聖君であるべきという徳治主義思想にもとづき死刑の執行を停止していたようですが(専修大学文学部准教授田中禎昭先生の「平安時代の死刑制度と死刑観」と題する講演)、それでもやはり素晴らしいことだと思います。

死刑の復活は、武家の台頭によるもののようです。

 また「罪をにくんで人をにくまず」という言葉はもともとは孔子の言葉なのですが(孔叢子)、孔子の弟子が司法官の心構えを尋ねたところ、 孔子は「罪を犯したその動機・背景にまず目を向けるべきであって、罪そのもの(ひいては罪人)のみに囚われるべきではない」と答えたそうです。

 このように日本には「絶対に死刑にするべきだ」とか、「人を殺したらと命でつぐなえ」という文化があるわけではなく、むしろ寛容な社会を受け入れる文化があると思います。

おひさま弁護士コラム

★コラム 仏教は因果応報だから死刑を認めているの

よく「仏教は、因果応報だから死刑を認めているんじゃないの」という人がいます。
でも「仏様は慈悲の教え」とも聞きますし、一体、どっちが正しいんでしょうか。

全日本仏教会の社会人権審議会が、 諮問「死刑廃止について宗教者はいのちの尊厳と人権的見地からどのように捉えるか」について答申し、2020年1月理事長談話が公開されました。

理事長談話(抜粋)
死刑廃止は、その制度や被害者ならびに被害者遺族の方々、さらに加害者と加害者家族の方々など多くの課題を包含しています。さまざまな視点から検討し、議論を進めなくてはなりません。
私ども仏教者は、仏さまの教えに基づいて「死刑廃止」についてどのように捉えていくかが問われています。いのちの問題として仏教者間で死刑についての問題を共有し、社会全体とのより一層の議論を深めていくことを期待しています。

令和2年1月31日
公益財団法人全日本仏教会
理事長 釜田隆文

「死刑廃止について宗教者はいのちの尊厳と人権的見地からどのように捉えるか」

釈尊がお示しになられた「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」という不殺生の教えにもあるように、仏教の教義と死刑が相いれないことは明白である。
しかしながら、現在、世界の潮流として死刑の廃止や執行停止が進む中、日本では依然として死刑制度が存在している。特に我が国においては死刑執行には密室的な秘匿性があるため、情報公開が十分ではなく国民の間で本格的な議論になり得ていない。
大切な家族のいのちを奪われた被害者遺族が「極刑をもって償わせたい」という感情を抱くことは無理からぬことではある。しかしながらその上で「およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことない。怨みを捨ててこそ息む、これは永遠の真理である。」と釈尊の言葉にもあるように、その教えを現代に置き換えればそのような感情を和らげていくことが本来の仏教者の役割であると考える。
一方、仏教界では教誨師や篤志面接委員として罪を犯した者に対しての矯正教化活動や保護司による社会復帰に長らく携わって更生を支援してきたことも事実である。社会福祉の向上による更生保護の理解のもと、更なる支援活動への積極的な参画を促すことも仏教界の役割である。
全日本仏教会は仏教文化の宣揚と世界平和の進展に寄与することを目的として、共に平和に生きる社会の具現化を目指している。罪を犯すに至った経緯は様々であるが、誰しも悪人として生まれてきたわけではなく、犯罪は社会の共同責任という側面もある。重大な犯罪者を生み出す背景となっている、社会環境・社会矛盾等の原因を深く見つめ直し、重大な犯罪者を出さない社会をつくるための宗教者と社会の協働が求められる。

被害者支援について言えば、被害者その家族の置かれている状況は様々であって、特に被害者遺族がいかに精神的・社会的に困難な状況にあるかを理解して、具体的な支援を考察し活動を実際に進めていくことが仏教界として取り組むべき課題である。また、加害者親族の置かれている状況についても改善されるべきである。
はじめに述べたように、仏教の教義と死刑は相いれないことは明白である。いのちの問題として仏教者間で死刑についての問題を共有し、社会全体とのより一層の議論を深めていくことを期待し、答申とする。
http://www.jbf.ne.jp/assets/files/pdf/singikai/syakai.pdf